ホリエモンの考える「新しいニュース批評の形」を勝手に考えてみる

みなさんはどう感じましたか?

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(引用元:日本経済新聞「もしホリエモンに「師匠」がいたら……起業家育てる米投資家」

2013年03月27日のホリエモンの仮釈放会見に詰めかけた報道陣は150人、ニコニコ動画を運営するニワンゴによれば生中継のライブ視聴者は12万人にも及んだそうです。

「また何かやってくれそうだ」「やせたね」「さすがカリスマだな」いろいろな感じ方があったと思います。私もTwitterで「ホリエモン 仮釈放」で検索してみて、いろんな人がいろんなことを感じているのだな、と思いました。

・旧ライブドア 堀江元社長が仮釈放(NHK)

・刑務所で28キロ減、堀江元社長会見 「ご迷惑かけた」(朝日新聞)

・ホリエモン改心「反省」謙虚に70分仮釈放会見(スポーツ報知)

・仮釈放の堀江元社長が会見「今後は社会貢献」(サンケイスポーツ)

・ホリエモンが仮釈放 早速ニコ生で「痔のエピソード」披露(J-CASTニュース)

「旧ライブドア」「28キロ減」「反省」「社会貢献」「痔」など、タイトルを見るとニュースの切り口は本当にいろいろでした。

私も「なんかたのしいことになるといいなー」なんてのんきに思っていたわけですが、ある一つのWebサイトを見て「はっ」としました。そのサイトはこちらです。

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livedoorNEWS編集部によるNAVERまとめ「堀江貴文氏が仮釈放、記者会見の様子を全文起こしでレポート」です。現時点でツイート数1,800件、いいね!3,000件、はてブ700件、Viewは26万を超えており、とても多くの人に読まれています。

この記事は、ほぼ即日で記者会見の様子をすべて文字起こししてました。「すごいなー」と思う反面、「あれ、この全文文字起こしがあれば、誰でもニュースの記事って書けるじゃん」と思ったのです。そして「はっ」と気づいたことは、「あーこれって報道陣150人もいらないってことだよね」ということでした。あれだけの数の記者の方々が、まったく同じ記者会見を基に、いち早く読者に記事を届けようとする。「これって無駄な労力では?」と言ってしまうと、ものすごく怒られそうですが、、、そんな違和感を持ちました。

期せずしてホリエモンは会見上で「インターネットを使った、新しい…ニュース批評の形、と言いますか、そういったところを事業化して行きたいなと、ひとつは考えているところですね」と述べていました。「これは偶然の一致!」とひそかに膝を打ちました。ホリエモンの仮釈放会見を見て私が感じたことが、ホリエモンの考える新しいニュース批評の形につながりそうな予感がしたのです。せっかくなので勝手に考えてみたいと思います。

まず、ニュースの作成過程を整理するとこのような図になります。

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「社会的出来事」はホリエモン仮釈放の記者会見ですね。ニュースメディアが最初にすることは、ある「社会的出来事」を「選択」して「取材」することです。今回、報道陣が150人もの大人数になったのは、たくさんのニュースメディアがこの記者会見を伝えるべきだと「選択」し、「取材」に訪れたのです。記者は取材」で得た情報に基づき、「記事作成」します。その記事を新聞の誌面に載せるべきかどうか、テレビのニュース番組の放送時間枠内で放送すべきかが「編集/整理」され、「印刷/放送」されることで読者や視聴者に届けられます。

さて、ネットが登場したことでいちばん影響を受けたのはどの過程でしょうか?

答えは「編集/整理」と「印刷/放送」です。考えてみれば当たり前ですが、ニュースメディアとしてのネットには、誌面や放送時間という“枠”の概念がありません。したがって、「編集/整理」しなくても記事にしたものは全部掲載してしまえばいいわけです。また、ネットでは「印刷/放送」の配信コストがほぼゼロに近づきつつあります。ネットが登場した当初は新聞などのニュースメディアもすべての記事を配信することに抵抗を示していましたが、各社が競争するなかで、より多くの記事がネット上で配信されるようになりました。

記事がネット上にたくさん掲載されることで起こったことは、いわゆるニュースのコモディティ化です。ニュースメディアの枠内にどの記事を掲載するかという「編集/整理」では差別化ができなくなったのです。今回のホリエモン仮釈放の記者会見のように、どのニュースメディアも取り上げるような記事の価値が相対的に下がったともいえます。

また、「印刷/放送」の“枠”という概念がネットにないゆえに、現在、起こりつつあることが“全文掲載”というネット文化です。

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たとえば、古い記事ですが、NHK「かぶん」ブログ(科学文化部)に「全文掲載:芥川賞受賞会見・田中慎弥さん」(2012年01月18日)というエントリーがあります。田中慎弥さんの「都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」という発言が大変な話題となった会見です。私はテレビのニュース番組でこの会見を見て「なんて不遜な人だろう」という印象を持ったのですが、この全文掲載を見て爆笑し、「なんか田中さんって、いい人」と印象が変わったことを覚えています。「Q:お酒を飲まれていますか? → A:ワイン2杯くらい」って、おいおい普通にアルコール飲んで記者会見したんかいって思いました(笑)。この例に限らず“全文掲載”文化はあらゆるサイトで見ることができます。

ネット登場以後のニュース作成過程を整理するとこのような図になります。

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つまり、ある「社会的出来事」を「選択/取材」した「素材」をネット上にアップしておけば、そのあとの過程でどのような記事が作成されたとしてもファクト(Fact=実際に起こった事実)に遡ることができるのです。livedoorNEWS編集部がホリエモン記者会見の内容をNAVERまとめに全文掲載したこともまったく同じです。「その全文掲載の内容が間違っていたらどうするんだ」というご心配は無用です。YouTubeにその記者会見の動画を丸ごとアップロードすればいいでしょう。事実と異なっていればクラウドソーシング的に誰かが指摘するはずです。

さて、ここからが重要な議論です。一つの事実に気づくはずです。つまり、ある「社会的出来事」が「選択/取材」されて、ネット上に「素材」があれば、それをもとに自分なりのニュースバリューを見つけて「記事」作成することができます。そして、自分のブログやFacebook・Twitterなどで発信をすることで、誰もがニュースメディアになることができるということです。

逆から言えば、「素材(全文掲載)」がなければ新聞やテレビなど既存のマスメディアの情報をもとにしてでしか、私たちは意見を発信することができません。もし、ネットメディアでの議論が無知だとか衆愚だとか言われているのだとすれば、それはニュース素材へのパブリック・アクセスが限られているからではないでしょうか?

ネット上ではしばしば「マスコミが重大な事実を隠しているのではないか」という疑心暗鬼にも似た空気が蔓延することがあります。ニュース素材へのアクセスが実現すれば、そうした空気も少しは薄まるのだと思います。ニュースの「素材(全文掲載)」はネットで生産的な議論を生むために必要なインフラになると思います。

「わかった。記者会見のような発表報道はそうかもしれない。しかし、調査報道のように、ニュースメディアの主体的なテーマ設定に基づく継続的な取材はできないだろう」

私もここが最も重要なポイントだと考えています。つまり、どの「社会的出来事」を「選択」し、どのように「取材」するのか。これこそがネット登場以後に最も重要視しなければならないプロセスだと思います。調査報道の種類によっては取材源を秘匿する必要が出てくる場合もあるため、すべてのニュース素材をアクセス可能にすることは難しい。ゆえに誰もがニュースを発信することは事実上不可能でしょう。調査報道を実現するニュースメディアはやはり必要です。

ところが実際に起きていることはまったく逆で、ニュースメディアの独自取材は減る一方だと言います。新聞も発行部数が下がり、テレビも広告収入が落ち込んでいるため、本当は取材すべき「社会的出来事」がたくさんあるにもかかわらず、それを「選択」も「取材」もできないというのです。

「だったら記者会見の150人報道陣を効率的にすればいいんじゃないの」そんなことを素人である私は考えたわけです。ホリエモンの考える新しいニュース批評の形のヒントはここにあるのではないでしょうか。勝手に考えた図がこれです。

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新聞には記事を配信する共同通信社や時事通信社のような通信社という存在がありますが、ネットメディアにも新しい「ネット通信社(仮)」があればよいのではないでしょうか。ネット時代のニュースプラットフォームです。特徴は大きく分けて4つです。

(1)ダダ漏れせよ!

ポイントは“だだ漏れ”である点です。ニュースの記事をつくるのは各個人のブロガーであり、各ネットメディアの記者です。“だだ漏れ”の良い点は、全文書き起こし(テープ起こし)はスキル不要のタスクなので、クラウドソーシング化が可能であるところです。クラウドソーシングすることでコストが圧倒的に下がり、スピードも格段に上がります。実は個人的にも「LANCERS(ランサーズ)」というクラウドソーシングサイトでディスカッション動画の全文書き起こし依頼をしたことがあります。プロに依頼すれば「1分/200円〜300円」といわれるところ、クラウドソーシングでは「1分/40円〜100円」で依頼することができました。たとえば60分の記者会見やインタビューの動画を書き起こしてくれといえば、わずか数千円で行うことが可能です。「“だだ漏れ”した取材内容が事実でなかった場合はどうするのだ?」という懸念には、取材される人(インタビューイー)やユーザーがそれを指摘する仕組みがあればどうでしょうか。私はよくLINEのスタンプで「さっきのスタンプ送り間違えた、ごめん(_ _)」となることがありますが、それでトラブったことはありません(笑)。即時性+双方向こそネット最大の利点です。ついでにグローバルにニュースバリューの高い重要な「素材」はクラウドソーシング翻訳サービス「Gengo(ゲンゴ)」などで英語に翻訳して日本の情報を世界に発信するのも一つの手です。

(2)誰もがニュースを発信できる!

「ネット通信社(仮)」はあくまで「ダダ漏れ」ですので、それ自体はニュース記事ではありません。長くて読むのが面倒くさいですし、そもそも読みづらい。その素材を記者の視点でどう切り取って配信するかが各個人のブロガー、ネットメディアの記者の役割です。やる気さえあれば誰でもニュースを発信できます。「取材」と「記事作成」を「素材」という中間形態を設けることで明確に分業化すると、150人が同じ取材にいく必要もなくなるので効率的です。「素材」の利用についてはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスなど、個人利用と商用利用に関する一定のルールがあれば機能する思います。商用利用するニュースメディアからのライセンス定期利用料でマネタイズを考えることができます。

(3)取材先の「選択」に参加する!

現在のマスメディアの仕組みでは実現が不可能と思われるのが、ニュース作成過程のいちばん最初の工程「社会的出来事」の「選択」です。つまり、どの出来事を取材するのかを決めるプロセスに、ニュースメディア以外の人たちが参加することはとても難しいです。一方、「ネット通信社(仮)」ならば「◯◯◯◯◯に取材に行ってほしい」という声をネットから拾い上げることが可能です。また、記者会見そのものにも参加可能です。ライブ中に聞いてほしい質問を書き込んでもらえればいいわけです。「取材に行ってほしいところが多すぎて記者が足りなくなったらどうするんだ?」というご心配も無用です。なぜなら、わかりやすくいえば150人が同じ取材に行く必要がないため、残り149人が取材に行けるからです。さらに、“ダダ漏れ”なので取材した記者が「記事作成」する必要がないため、すぐに次の取材に行くことができます。

(4)調査報道は専属の記者がやる!

ニュースがコモディティ化し、報道が利益を生まなくなったときに最初に行われるのはコストカットです。そして、ネット登場以後のニュースメディアにおいて、相対的にいちばん高くなったコストは取材コストです。「これは社会的に重要な出来事だ」と思ってもコスト削減のあおりで自由に取材できなくなってきます。その調査報道のような機能を「ネット通信社(仮)」が発表報道などの取材を合理化することでリソースを生みだし、専属の記者(ジャーナリスト)が独自取材することで補えればよいと思います。日本版ウィキリークス的な内部告発機能を持たせると、さらに生産的かもしれません。

と、このように勝手に考えてみたわけですが、こうやって考えていくと「ネット通信社(仮)」は、「ニコニコニュース」「livedoorNEWS」が役割を担っていただいてもぜんぜんOKですね(笑)。もしくは、「キュレーション、キュレーションって言うけど、クリエーションも考えてくれよ」と言われがちな「NAVERまとめ」でもOKですね。以前「NAVERまとめ研究」でも考察してみましたが、ネットがこれから生活に欠かせないものになるためには、ネット上にクリエーションのための「素材(燃料?)」の量を増やすことが重要だと思います。まあ、私もお金さえあれば「ネット通信社(仮)」改め「全文書き起こし.com」でも立ち上げてこの新しいニュースの在り方を事業化しますので、ホリエモンとお知り合いの方、またはアラブの富豪とお知り合いの方、ぜひご紹介ください。なにごともアイデアなんて誰でも思いつけるので、資本を持つことが大事だよなーなんて思いつつ。

さて、全文掲載のダダ漏れが「素材」としてネット上にあることで、どんなことが起こるでしょうか? オンラインコミュニティの「1%ルール=90%:9%:1%」から考えてみましょう。下記のピラミッド図です。

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(引用元:Nielsen Norman Group「Participation Inequality: Encouraging More Users to Contribute」

ネット文化でよくいわれるのはユーザーの層は90%の読むだけの人、9%は何らかの貢献をする人、1%は積極的に参加する人に分かれるということです。「NAVERまとめ」登場以後のネット文脈に置き換えれば、ブログなどで積極的に記事を書いて発信する1%、まとめたり記事をソーシャルメディアでシェアする9%、残りは読むだけの90%です。

ブログを書く人はダダ漏れニュース素材があることで議論を深め、記事のクオリティを上げることができます。まとめる人は切り取り方の腕次第で、独自視点のまとめ記事がつくれるようになります。残り90%の読むだけの人の変化が特に重要です。切り取られたニュース記事のファクトに遡れるようになるため、たとえニュースメディアが偏った取り上げ方をしても、「偏った取り上げ方をしているなー」と気づくことができるようになります。それは私が「芥川賞の田中慎弥さんってけっこういい人かも」と思ったようなことです。もしかしたら、あまりに偏った切り取り方をするニュースメディアを批判する人が出てくるかもしれませんね。

その昔、ネット時代を象徴する市民メディアとして華々しく取り上げられたオーマイニュース」というニュースサイトがありました。なぜ失敗したのかを詳しく解説した記事もあります(参考:J-CAST「オーマイニュースはなぜ挫折したのか」)。さまざまな要因があったのだと思いますが、個人的に思ったことを言えば、結局のところ、取材スキルを持った人(数ある社会的出来事からニュースバリューの高いものを選択し、且つ取材でバリューを引き出せる人)はやはり希少であり、さらに記事にまとめるというのが一般の人にとっては非常に高いハードルだったのだと思います。日本人が得意なのは、たとえば「ネット通信社(仮)」の記者が初音ミクだとすれば、その記者に「どんなところに取材に行ってもらうか」「どんな質問をしてもらうか」など、記者とユーザーが一心同体になりながらみんなでクリエーションに参加することなのではないでしょうか。「オーマイニュース」の失敗を振り返るに、もしかしたら日本版オープンジャーナリズムはこんな感じなのかもなーと思いました。

オープンジャーナリズムといえば、「BLOGOS(ブロゴス)」「Yahoo!ニュース: 個人」などに続き、ソーシャルをうまく取り込み成功を収めている米国ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」の日本版が朝日新聞と提携して2013年5月にオープンを予定するなど、各分野の専門家が意見や提案をするサイトが注目されています。しかしながら、専門家といえども全員が記事を書けるわけではありません。「ネットってよくわからないから、何を書いていいかわからない、書く時間がない」という日本人の専門家もまだまだ多く、取材で聞かれたことをしゃべる方が楽だという人も多いと思います。そうした間を埋める存在として「ネット通信社(仮)」が機能すれば面白いのではないかと考えました。

余談ですが、新聞業界の淘汰が進む米国において、ネットの有料購読を促すペイウォール化が進んでいることも気がかりです。お金を払った人しかアクセスできないところにパブリックはあるのでしょうか? マネタイズとコスト負担の問題は本当に厄介です。ネットを利用した効率化・合理化で対処するしかないのではないかと思います。弁当宅配だって「ごちクル」の例のようにITで効率化・合理化できるのですから、ニュースメディアだってできるはずです(参考:日経ビジネス「宅配弁当を月間10万食売る男」)。米国にはほとんどが寄付の資金で運営されているジャーナリスト集団のNPOである「プロパブリカ」もあるぐらいですから、ジャーナリズムに対する危機感は米国でも強いと思います。賛否両論ありますが、ある面では「ザ・ハフィントン・ポスト」の方がパブリックな場なのかもしれません。そして、日本の新聞業界も米国のペイウォール化の流れを踏襲している最中です。

さてさて、ニュースの新しい形ってどうなるのでしょうね。みなさんはどう思いますか?

勝手ながらホリエモンの仮釈放記者会見から“全文書き起こしダダ漏れ掲載”というネット文化が定着すればいいなと思い立ち、NOTEにまとめました。大学でマスコミュニケーション論を教えていただいた大石裕先生に感謝するとともに、卒論以来のニュースメディア論的な内容に我ながらビックリしております(笑)。

ご連絡や感想などははいつもどおりTwitter(http://twitter.com/ro_mi)やFacebook(http://www.facebook.com/hiromi.kubota)などを通じてお知らせください。事実誤認などあれば指摘していただけるとたいへんに助かります(ときどき本当にありますから!)。ではまた。

(初出:2013/4/1「NOTE by Hiromi Kubota」

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